'19/10 Event Info
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Akiko Nakayama Alive Painting Kyushu Tour 2019
- 中山晃子
- SOSITE
- 山内桂
- ミドリ電卓
- Spaceship Airguitars
- DJ SPEEDFARMER
中山晃子
HP内Statementより抜粋
私は絵を描いている。
生きている状態、動き続ける光景を描きたい。
なのになぜ、絵の具は乾き、固まってしまうのか?
私は、絶えず変容する姿を描くため、流動性を用いた”Alive painting” を始めた。
”Alive painting” では、様々な性質を持つ材料を用い、相互に反応させることで絵を描く。それによって、要素の流れと色彩がもたらす美的な快楽と、生々流転をその場に現すことを試みる。材料の化学的性質に加え、風、重力、振動などの外的要因によって予期せぬ反応が現れてくるので、二度と再現不能の景色がゆるやかに出現し、その経験そのものを鑑賞者と共有する。近年では、色の差異を即時的に画像解析、デジタル処理することによって音を発生させるカラーオルガンシステム“Fluid2wave” と、さまざまな周波数の音波によって絵に波をおこすなど、音も絵も同時に呼応するソロパフォーマンスを行う。
一個人的な視点と、広く世界を捉える視点を同時に表現することができる絵の可能性を感じており、液体でつくる現象や色彩を、河川や生物、自分も含めたメタファーとして作品の中に登場させる。
すべての生物、物質はそれぞれのリズムを持って生き、姿を変えてゆく。
だから私は、音、映像、写真、パフォーマンス、と様々な表現形式を用いて、そのそれぞれの方法だから掴むことができる時を捉えたい。
私はこれからも、2つの物事によって現れる境界線の美しさ、止まることなく満ち欠ける陰と陽の姿を探求し続ける。
OiTA NOiSE SURUBA VOL.1
- Louise Dam Eckardt Jensen
- Tom Blancarte
- P.O.V.
- Sea becomes black
- Spaceship Airguitars
- DJ Pol iPod
伊澤一葉 “ 6の上は錦 ” 九州シリーズ 大分公演@ジェラテリアふくろう
- 伊澤一葉(ex.東京事変)
本公演の開演場所はAT HALLではございません。予めご了承ください。
前売チケット取り扱い:ジェラテリアふくろう/アトホール
WEB予約:info@athall.com
問合せ : AT HALL[097-535-2567]
SMAP祭in大分
- DJ ダイノジ(大谷ノブ彦)
- 笑笑子
- SMAPファンの皆さん
Curve Mirrors & 迷いクジラ Wレコ発 音動会スペシャル!
- Curve Mirrors
- 迷いクジラ(福岡)
- ネネカート
- mmm(東京)
- ウサギバニーボーイ(広島)
- etos(広島)
- k the musicgirl(広島)
100th birthday!
- ドラびでお&沖縄電子少女彩(山口/沖縄)
- HEX(デンマーク)
- KELP(福岡)
- DJ Pol iPod
ALTANA LIKE
- tepPohseen(福岡)
- ikitAAkashi
- The Mighty Project
- ほか
最低人の逆襲2019
- イヌイジュン(ex-ザ・スターリン)
- 谷本仰
- ミドリトモヒデ
イヌイジュン
1979年より故・遠藤ミチロウとともに音楽活動開始、1985年まで「ザ・スターリン」ドラム。ヒゴヒロシ率いるチャンスオペレーション、故・林直人率いるアウシュビッツなどのドラム歴任。2015年よりガセネタ、グリーンフレームス、ツボナオシなど。
谷本 仰
1963年大阪生まれ。ヴァイオリン(アコースティック/エレクトリック)、歌、声、鳴り物、エレクトロニクスほか。即興、ロック、アルゼンチンタンゴなど多種多様なバンド・ユニットでの演奏のほか、演劇、アート、映像、ダンス等様々なフィールドの表現者とも共演。2007年からはオリジナル作品と即興を中心にしたソロライブプロジェクト“Solo Dialogues”開始。アルゼンチンタンゴ「トリオ・ロス・ファンダンゴス」、即興ロック「ドグラマグラ」、ジャズファンクロック管弦楽団「呆けすとら」など。
ミドリトモヒデ
東京でアヴァンギャルド・ジャズ、サイケデリック・ロック、アシッドフォーク、ダブ、テクノなどで活動。徐々にフリーインプロの傾向の強い音楽に傾倒し、近年、大分に移住後は、エレクトロニクス、ノイズ的な要素を取り込み、丸い柔らかなサックスのトーンとギミックなエフェクターを組み合わせてサイケで妙な音楽を計画中。
weedbeats、飛頭、zero、fantastic explosion、trial production、dub-sonic、kikuchi art quartet、高橋敏幸&どぶろくvisions、shuttle loop、dub junglesなどに在籍。
【ミックスフライ弁当はじめました】
- 演劇ユニットロストバゲッジ
【ミックスフライ弁当はじめました】
- 演劇ユニットロストバゲッジ
恒例 三上 寛 & ハナクソ 師弟2019 ニューアルバム「ピーターの涙」発売記念ライブツアー 大分編
- 三上寛
- ハナクソ
- 真夜中のディストーションズ
- The Old&Moderns
- Tentak
代々漁師の家系(ただし父親は役場勤務)に生まれる。
小泊村立小泊小学校(現・中泊町立小泊小学校)時代には、後に現代詩の手解きを受けることになる(アレン・ギンズバーグなどの存在も教わる)泉谷明と出会う。
青森県立五所川原高等学校在学中は、生徒会長を務めたことがあり、バンドを組んでザ・タイガースやジャッキー吉川とブルーコメッツなどをカバーしていた。作詞も高校一年から始め、バンドでは自作のオリジナル曲を演奏したこともあるという[要出典]。1967年にはガリ版刷り詩集「白い彫刻」を自費出版。同郷の詩人寺山修司の眼にとまり、「寛は詩がうまい」と言われたともいう。
高校卒業後、警察官を目指して青森県警の警察学校に通っていたが、在学中に盗みを働いたと疑われ退学となり(ただしこれは濡れ衣を着せられた冤罪であり、後に真犯人が逮捕されている。)、1968年秋に詩人になりたい気持ちを秘めながら上京。
初めは片瀬江ノ島駅近くの割烹料亭「角若松」での板前見習いに就くも、岡林信康の『山谷ブルース』を聞いた衝動で退職を決意。1969年1月31日に東京へ出て、翌日から中野区の新聞販売店で住み込み勤務を始め、詩を書き溜めていった。配達先のスナックのマスターの紹介で、田原総一朗(当時は東京12チャンネルのディレクター)と会い、永山則夫を題材にした『ピストル魔の少年』(高卒の三上にとって当時の大学生を中心とした学生運動よりも強い重要性を感じた事象であり、永山事件の芝居化も計画していた)を歌う。1970年11月11日には、田原が制作したドキュメンタリー青春「ドギつく生きよう宣言〜もう一人の永山則夫・三上寛〜」が放送された。
1970年1月から、アナーキストの牧田吉明がオーナーを務める渋谷のライブスペース「ステーション70」に出演するようになり、フォークシンガーの道を歩む。同店の客だった楯の会第一期メンバー阿部勉の紹介で、田中清玄が運営する千葉のコンビナートでの下請けを始める。
1971年3月、ばばこういち(前述の田原総一朗の上司でもあった)のプロデュースによって、シングル『馬鹿ぶし』でデビュー。バーテンダーのアルバイトをしていた新宿ゴールデン街のスナック「唯尼庵」に来店したプロデューサーの誘いがきっかけで、同年8月7日・8日の「第3回全日本フォークジャンボリー(中津川フォークジャンボリー)」に急遽出演を果たす。自作歌詞による『夢は夜ひらく』のカバーや、よど号ハイジャック事件を題材にした『飛行機ぶんどって』などを歌唱して、男性観衆を中心に大歓声を浴び、知名度も向上した。
一方で、その風貌から1970年代のジョイントコンサートでは、三上がステージに出てくるとガロや吉田拓郎めあてに来ていた女性ファンは、一斉にトイレに逃げ込んでいたといわれる。
1973年の東映映画『ネオンくらげ』は、監督の内藤誠が三上の楽曲の世界観を映画化したもの。
音楽活動の一方、俳優業でも数多くの作品で活躍しており、1970年代の映画や刑事ドラマでは、個性派の怪優を演じた。東映の大部屋系悪役俳優で構成されたユニット「ピラニア軍団」のLPレコードのプロデューサーも務めた。